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先日のことである。朝エレベーターに乗って行き先の階のボタンを押し、エレベータ の扉が閉まりかけたところに派遣先の会社の人が乗ってきた。直接関係ない部署の 人なのだが、環境委員とかでエアコンの温度設定とか喫煙所の管理とかをやって いる人なのでオレは顔を覚えていたのだ。で、その人最初はオレ行き先の一つ上の 階のボタンを押したのだが、途中で何かを思い出したのか、もっと下の階の ボタンを押した。そして、降りるときにまた何かボタンを押して降りたのだが、 オレはドアを閉めるボタンを押して降りたと思ったのだ。その時は。ところが、 自分の降りる階でふと見てみると、さっきの人が最初に押したボタンの明かり が消えているのである。
エレベータのボタンがキャンセル出来るという噂はオレも聞いたことがあって、 あれはトリプルクリックするとキャンセルできるのだとかいう嘘をオレも 言ったりしたのだが、まさか、本当にキャンセル出来るとは思わなかった。
傑作。しかし、読んでいるときはまさかハッピーエンドになるとは予想できなかった よ。さすが、牧野修。
梗概の話。しかし、他人の梗概を見るとみんな面白そうだ。一方、オレは梗概を書く のが苦手。で、その理由を受講中に考えていたのだが、どうも梗概をまじめに書こうと するからいけないようである。実はオレは作文も苦手だったのだ。もうひとつの 原因はオレの話には起伏のあるストーリーがないということであった。
ワークショップの後、飲み会。受講している人も女性が多いのだが、さらに女の子 が集まって来て女のばっかりの飲み会という感じになる。オレの座ったテーブルは 6人中男はオレ一人だったし、女の子だけのテーブルもあったのだ。こう女の子が 多いとなんだかモテているような錯覚に陥り、気持ちいいのでどんどんビールを飲む。 しかし、どの子に気をつかったらいいのかわからなくなり、かなり混乱する。
これはミステリなんだけれども、普通のミステリとは違う。なんというか、 探し求めるものは犯人じゃなくて事件なのだ。という言い方も断定的すぎるかも。 かなり良い。でも解説では都会の問題として捕らえていたけれど、オレにとっては 都会も田舎も含めた家族の問題だと思えた。しかし、そういう捕らえ方からすると、 もうひとつ押しが足りないような気もする。
でも、これを読みはじめたときに感じたのはそんなことではなくて、「読点」が 多いなぁということであった。このあいだも似たようなことを日記に書いていて それは「愛のひだりがわ」に読点が異常に多いということだったのだが、そう 感じなかった「だからドロシー帰っておいで」をちょっと読み直したら、 やはり適切な読点であった。ま、今回は読んでいるうちに不自然さは感じなく なったのであるが。ということは、マンガカルテットはみんな結構いい読点の 打ち方をしているということか。ま、カルテット内文章力では一番だとオレが 思っている田中哲弥は当然として、田中啓文も枚数を削るために読点(ばかりか 句点や改行も)消しているし。牧野修も、そう今気付いたのだが牧野修も相当 文章がうまい。小林泰三は理系の文章だから、きっと読点は少ないのだ。 (今、(文字どおり)手の届くところに小林泰三がないので確認はできないが)
といいつつ、いま書いた自分の日記を読み返したらむちゃくちゃ読点が 多いのであった。気になりだすと、読点で息継ぎしてしまうので、 そうなると、もう、ぶつ切りの文章という気がして仕方がなくなるのである。 たぶん気にならない人は読点で区切らずに読んでいると思う。
なんか今日は寒いような気がする。というか布団から出たくなかった。先日まで ふとんなんかかぶらずに寝ていたのに。
書きかけの小説の続きを書こうとしたら、自分の小説まで読点が多いことに気付く。 そうなんだよなぁ。4月くらいから読点が増えているのだ。つまり一文が長く なっているのである。しかし全部描き直すのは面倒なので放っておく。あと少し で話が終わるのだから。今日の日記の読点は普通の量だ。
もう、いや。一回ディスクアクセスするたびに7〜8回リトライしてる。 やっぱFATじゃだめ、というかMicroSoftじゃダメなんだろうな。 scan disc を掛けると、何度も最初からやり直した上、 他のプログラムを実行中なのでリトライとしたとか嘘をつくし。
朝、エレベータにひとりでのってぼーっとしていて、ドアが開いたのでぼーっと したまま降りようとしたら、女の子とぶつかりそうになった。そのままぼーっと して通り過ぎる。
またひとつチャンスを逃してしまった。
連載1回目か2回めくらいまで読んだのだが、その時はなんか読みづらいなぁと 思っただけだった。しかし、この間だからドロシー帰っておいでを読んでから、 牧野修の描く世界が気持ち悪いというよりは心地よいと感じるようになって いて、今回は楽しく読めた。かなりの傑作。
ところで、この本よくみるとサイン入りのような気がする。サインしてもらった 記憶はないのだが。セミナーでサイン済みのを買ったんだっけ?
パソコンはとりあえず回復。朝、スキャンディスクをかけたまま仕事に行った のである。このとりあえず回復しているときにバックアップを取ったり するべきなのだろうなとは思うのだが、何をどうバックアップしたらいいやら。
一番簡単なのは新しいパソコンを買って、ピアツーピアで繋いでデータを移す ことだと思うのだが、今欲しいパソコンはデスクトップの静音パソコンで、 ノートはやはり熱くなるからそのせいで不安定になるようだから。ところが デスクトップを買うためには机が必要で、それには引越をしなければならない のだ。
昨日床屋に行ったのに日記に書くのを忘れていた。前回と同じ女の子が髪を刈って くれる。しかし、この床屋スタッフがみんな女の子みたいなんだけど、なぜか どの子も胸が平らである。もしかして、胸が客に触れるとまずいからとサラシ でも巻いているのだろうか。うーん、そんなことはないとは言い切れない。 しかし聞くわけにもいくまい。
あとがきに「作者は何も言わない方が多くの場合受けての理解を助ける」と 書かれているが、それは正しい。正しいが十分ではない。作者の言葉が 作品の印象を損なう場合があり、この作品のあとがきはまさにそれだ。 だいたい、映画を見てから何年もたってから読んだ監督のインタビューが 映画の理解を損なうものならば、小説を読み終わった直後に読む作者の あとがきの破壊力はさらなるものがあろうよ。
で、あとがきを読む前は傑作だと思っていたかというとそうでもなく、 傑作とは言えないけれど、駄作とも言いにくいし、なんか印象が定まらない なぁ。面白いような、面白くないような。まさか、おのずから分かるという ことだけが言いたいわけではないだろうし。
そうそう、この作品の文章は少し変わっていて、佐藤哲也は全部そうなの かもしれないけれど、視点は三人称で語りは一人称なんだよね。そのことは 引っかかるというほどではないけれど、意識しないわけにはいかなかった。 なんかオチに関係するのかと思ったけれど、関係なかったし。
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