人間の感じる怖さにはいろいろあるけれど、俺の場合は饅頭じゃなくて、 理屈が通じないということが怖さの上位にくる。そういう怖さをうまく描く のが牧野修なのだが、この作品は理屈が通じない怖さという点では、 牧野修をはるかに凌ぐ。少なくとも俺に取っては牧野修よりずっと怖い。 牧野修の登場人物は確かに異常な行動、言動を取るが、これを読んだ後では、 その異常さは作り物の異常さとしか思えないのだ。
もちろん、他人の行動の意味は分からないものだし、他人の考えも分からない。 その点で言えば、他人の言っていることだってどの程度理解できているかは怪しい ものだ。けれども不思議と我々は他人の言葉がわかるように感じて生きている。
しかし、この作品の登場人物の話は俺にはほとんど理解できないのだ。登場人物の 一人が理解できないのではなく、すべての登場人物の台詞の意味がほとんどわからない のである。これは怖い。しかも、この小説はかなりの部分が一人称で語られているので ある。その一人称の部分もかなりわからない。しかし、それは作者の日本語が下手だ というのではない。
たとえば、日本語の下手なライトノベルを読んでいると、それは間違いだろう という文章に出会うことがあるが、その場合は、「それは○○の間違いだろう」 というように、話者の言いたいことは分かるのだ。しかし、この作品では、 登場人物の台詞の意味がわからない。それも全部ではないというところが、 うまい。全部の台詞がわからないならば、登場人物の精神が異常であると 考えるところだが、わかるところはわかる。特に、一人称で風景描写や人物 描写をしている部分はちゃんとわかるのである。
わからないのは「AだからB」というように登場人物が論理的な関連を もったことを言うときである。おれは、そのAからどうしてそのBがでて くるのかわからなくて悩むのである。
まあ小説だから、常識外れな人間は登場するのだが、その対比として、 ごく普通の人間も登場するのだ。しかし、俺にはその普通の人間の言葉も また理解できないのであった。なんで? その上、この普通の人は俺に 理解できない説明を聞いて、すごくよく理解して相槌を打つし。
それに登場人物の台詞とか会話は理解できないのだが、行動は極めて 普通で、せいぜい人を殺すくらいである。人を殺すなんてことは、 物語の登場人物にすれば、ごくありふれた行動である。
それ以外にも、この小説を分かりにくくしている要素があって、 それは詩的な表現が多用されているということである。 ただ、間違っているかもしれないが、俺は詩というのは音の 美を追求するものだと思っていたのだが、この作品で詩的と 俺が感じる部分は音の美を追求した部分ではない。 だから、詩的という表現は間違いかもしれない。 でも他に適当な言葉が思い浮かばないし、 やはり詩的という印象があるのだ。
たとえば、「直死の魔眼」という言葉が出てくるが、この言葉に 俺は音韻的な美を感じない。しかし、何らかの美があるように 思える。漫画ならここにカタカナのルビが振ってあって、 大活字で組まれるところであろう。
タイトルもそうで、「からのきょうかい」 (このタイトルは知らない人にはわからないがこう読むのだ) という言葉の響きに特別の美はない。 しかし、このタイトルは、何か具体的な意味内容よりも、 美的感覚に訴えることを目的としたものだと思われる。 (なぜなら、具体的な意味内容は存在しないから)
そんなわけで、会話も一人称の地の文も理解できずに、文字だけを追っていると、 どんどんと俺だけが異常なのではないかという気がしてくるのだ。
しかし、最後にはネタばらしがあって、実は一番普通に見えた男も麻薬常習者だったということがわかるのだが。
それに比べると、まるマはわかりやすい。もう、笑いを狙ってスベっている ことまでよくわかる。
いやあ、WindowsからMacに転向して、「裏切ったのではない、表返ったのだ」 とか言っていたが、実はunixでもこれまでは、派遣先の都合などにより、 csh系のシェルを使っていたのだが、ここも表返ってbashを使うことにしたのであった。 決してデフォルトがbashだからそのままにしていたというわけではない。
しかし、bashのinfoを読む暇がなくて、aliasを単純に使おうとして失敗とか、 履歴の検索キーはなんだけっけとか、戸惑いまくっているのである。 カーソル移動系のコマンドはさすがに間違えないけど。
nsgmls を osx(10.3.8) で make しようとしたらエラーになってしまった。 対処法をぐぐったけど発見できなかった。が、試行錯誤してなんとか makeできたので、ここにメモしておく。
これでmakeできるはず。あ、MakefileのBSDはこうしろとかいうところも、そのとおりに変更。 それから、makeが終わったら、gcc_select でgccのバージョンを戻しておくのを忘れてないこと。 (ってこれ書いてる時点で戻してないよ、俺)
しかし、俺はC++をずっと避けていたので、ソースをみてもどこの国の言葉じゃあ という感じでもう訳が分からない状態。何しろ、俺がC++を最後にいじったのは、 「こんどテンプレートという機能が追加される」とか言っていた時期だからな。 しかも今回そのテンプレート関係でエラーが出ていたので、ますますわからない のであった。
こっちに引っ越してから、スズメをよく見かけるので、ためしにベランダにパンを ちぎって置いておいたら、朝スズメの鳴き声で起こされるという健康的な状況に なったと思ったが、ベランダが糞だらけになってしまった。
仕方がないので、DIYの店でデッキブラシを買ってきて、新米水兵になったつもり でベランダの掃除をした。
ま、東京にいたときは、カラスの鳴き声で目が覚めるというか、夜中でもカラスが 鳴いていたから、それに比べるとずっといい。目標は手乗りスズメだ。