水辺で起きた大進化【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
図書館で借りた本。アクア説と関係あるかと思ったけど、あまり関係なかった。 脊椎動物の上陸と、クジラ類の水中進出の話。 書いているのはジャーナリストだけど、内容は結構高度なもの。 恐竜の絶滅の原因に隕石を挙げていること以外はオレにはっきり おかしいと感じられた部分はない。 もちろんオレの知らなかったことはたくさん書かれている。
なんだけど、どういうわけか、 オレがこれを読んでいると幻惑されてしまうのであった。 読んでいる途中で、あれいつのまに話題が変わったのかなと思うことが何度もあった。 なんだか、「石の来歴」とか「夢の木坂分岐点」 を読んでいるような感じがするのである。 それだけでなく、最初のほうに書いてあった「大進化」 の仕組みも証明されつつあるとかいうので、この本を読むと大進化の仕組みが わかるのかと思ったのだけれど、結局よくわからない。
でも書いてあることは面白いのだ。特にクジラやイルカの話は実に面白いのである。 どうもこの本の書き方は、一般的な科学読み物の書き方というよりは、 科学ドキュメンタリー番組を本にしたような感じである。 レポーター(著者のカール・ジンマー)は、 発掘現場や研究者の研究室に次々と尋ねて行くし、 そこで発掘を手伝ったりもするのである。 結局は退けられる説も、研究者の伝記的な部分と併せて紹介されるし、 ある研究者の発見の途中で、 別の研究者が登場するとその研究者の伝記がまた紹介され、 いつのまにかその研究者の話になったかと思うと、 また、元の研究者の話に戻ったり。
そういう構成の仕方がどうも記憶力の弱いオレには向いていないようで、 何がどうなっているのかすぐにわからなくなってしまうのである。 そういう意味ではオレは科学ドキュメンタリー番組も苦手である。 ま、今はテレビがないからだけど、 実はテレビがあった時もほとんど見ていないのであった。
なんだか最近ネットを見ているといやな本の話題が出ていたりして、 嫌な気分になっていたのだが、どうも今後もその話題は続きそうなので、 ここで一気にポジティブシンキングして、 これはオリジナルを読めというメッセージなのだと解釈することにした。
といっても蔵書を持たないので、本屋で買ってくる。売っているじゃないか。 まだエヴァ効果が生きていたのか。絶版になっていたりしたら、 愛を叫んじゃうところだったぞ。この本を買うのはたぶん三回め。 文庫で出た時、エヴァ効果で再版された時、にせものに怒った今回。
で、とりあえず、短編の「世界の中心で愛を叫んだけもの」だけでも読もうと 思ったのだが、それを読んでから、まえがきを読み、 訳者あとがきを読んだ現在では、このあと全部読んでしまうことは間違いない。
しかし、この本をお買いになったあなたには、 ぼくが「世界の中心で愛を叫んだけもの」を、 子供や母親への気懸ねや心配などまったくなく書いたことを保証する。 そして、これを読むあなたの心に、 何にも捉われない創作の喜びが伝わることを願う。
まえがきから恣意的に引用。いやあ、ここだけ読むと、 真剣に創作に取組む作家のまじめなまえがきみたいですが。
しかし、「世界の中心で愛を叫んだけもの」の方は、相変わらず、 よくわかりませんね。というか、 すっきりわかってしまったらこの作品の面白さは半減するのではないかと。 まったく古さを感じさせないのは、作品の質の高さなのか、 それとも、ベトナム戦争中と現在とで、 社会が実際には何も変わっていないからなのか。
今日は二番目の短編「101号線の決闘」
おもしろいよ。けど、ハーラン・エリスンにしては普通過ぎるというか。 車を運転してないから知らないけど、やはり古びてはいないでしょう。 というか、たぶんエリスンがこれを書いた時は、 エアバッグなんて車に装備されていなかったと思われるが。 何も知らない若者が得意そうにこれと同じアイデアで作品を書いたとしても不思議はないくらい普通のアイデアである。オチもふつうのオチものらしいオチ。
なんか、はなみずは出るは、頭は痛いは。こ、これって、寒さへの自然な反応? 梅雨? それとも冬?
今日は三番目の短編「不死鳥」
さすがに傑作とは思えない。 しかし、オレは読みはじめてすぐにだいたいの内容を思い出し、 アレでないアレが登場するのかと思っていたのだが、 それは気のせいでアレはもちろん、アレでないアレも登場しなかった。
今日の天気はよし。この調子でガンバレ。
小説を書こうとしたが、 ある人物がどうやって生計を立てているのだろうとふと疑問になり、 まさか畑を耕していると書くわけにもいかず、そのまま行き詰まってしまった。 しかし、一晩寝た揚げ句に思いついたのが、貯金があるからというのは あまりにも情けない結論なのだが、まあなんとか貯金がある理由あるいは お金が溜まった過去の生活をでっち上げられたのでよしとしよう。
オレは現代にあって音楽をほとんど聞かない珍しい人間なのだが、 隣の音がうるさい時に、耳栓をしたりしていたのだが、 耳栓は長くしていると耳が痛くなるので、アニソンなどを聞きはじめた。 しかし歌詞があるとどうも脳の言語野が活動するらしく、 小説を書く時には邪魔になる。それでクラシックでも聞こうかと思ったのだが、 義務教育時代から、オレはクラシックを聞くと眠くなるので、 また眠くなると困るので、 そうだ筒井康隆や奥泉光が好きだというジャズを聞いてみようという気になった。 しかし何を聞いていいのか全然わからない。 とりあえず図書館でコルトレーンという人のを借りてきた。 音楽のことはほとんど知らないのに、 なんとなく聞いたような気がする名前だったからである。
眠れ、安らかに
戦争が文明を発達させるという点では古い。 だって、現代人はビデオにしろインターネットにしろ、 エロが文明を発達させたということを知っているから。
しかし単純に思考の制御が悪いと言っているわけではない点がすぐれている。 平和ボケで戦争がしたくなる馬鹿とは違うのだ。実際、この作品を読んでみると、 暴力にあふれた作家だと思っていたハーラン・エリスンも、 少なくともサイバーパンクとかを読んだ後では、 モラルの高い登場人物を描く作家だ気づく。
しかし、首脳会談じゃなくて首脳対決はやってみるのもいいかも。
上記の作品を読んだせいか、つい昼寝をしてしまった。
新・地底旅行【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
図書館で借りた本。読んでいて楽しい。漱石の坊ちゃん風の文章とユーモアだけで、 楽しくて楽しくて、ストーリーなんぞどうでもいいという感じです。 いやむしろ邪魔というか、十七章あたりからまとめに入ってくると、 もう伏線とか謎とかどうでもいいからまとめないでくれーと叫びたい気がしてくる。
作者も楽しんで書いたとあとがきにあるが、 実際作者が楽しんだからといって読者が楽しめるとは限らないのだが、 奥泉光の場合はしっかりした基礎があるからか、作者が楽しんだ作品はやはり楽しい。 そう、小説はこうでなくてはならない。
だいたいセックスだって男だけが楽しんだり、 女だけが楽しんだりするのははなはだよろしくないと言われる昨今である。 Aというものに甲と乙の二者が関係するならば、 甲だけが楽しんだり、乙だけが楽しんだりするよりは、 甲乙ともに楽しんだ方がよいのは誰が考えたってわかる理屈だ。 その点からすれば、 小説だって同じことで作者と読者の両方が楽しんだ方がいいに決まっている。
そこで我が身を振返ってみれば、ノルマをもうけたりしてちょっと無理をしすぎた感がある。苦しんでばかりいては途中で投げだすことにもなりかねない。 そもそも作品は作者に属するのであるから、楽しむにしたって、作者が十なら読者は五か三くらいで十分だ。
そんなわけで楽しみながら書いていたら、なかなかいい調子になってきたのだが、 ふとこんなネタを使い捨てにするのかと思い、 それからもったいないもったいないと言いながら書きつづける。 もっとも調子はいいもののもったいないくらい贅沢な書き方をしているので、 進まない進まない。もったいないもったいないと言いながら書いていたら、 本当にもったいない気持ちになってきて、いっそこの作品が一次選考で落ちてくれた ら、別のところで使いまわしができるのにと思いはじめる。 もったいないもったいないなんまんだぶなんまんだぶ。
もったいないといいながらいつもより余分にまわしてしまう。 長編は過剰でないと。 というか止めどきを見失った。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」再読中。 このサンタ・クロース対スパイダーは最初に読んだ時にもっとも衝撃を受けた作品。 いや、どの作品も衝撃的なんだけど、表題作の「世界の中心で愛を叫んだけもの」は もうひとつ訳がわからず、「少年と犬」はすっきり分かりすぎというその中間の わかったようなわからんような、だけど衝撃的というのがこの 「サンタ・クロース対スパイダー」なのだ。
あまり衝撃を受けたので、 これを最初に読んだ直後に似たような小説を書こうとしたのだが、 書いている途中から自分でも何を書いているのかわからなくなってしまい、 未完のまま終わる。
大雑把に言うと、007のようなサンタ・クロースが、 異星人に取り憑かれて戦争を起すブッシュやコイズミをやっつけるという話。 だいたいこの話、かっこいいスパイ冒険活劇なのかそれともそれをパロディした 笑う小説なのか読んでいて分からない。 世の中には笑いによってしか書けないものがあるともいうし、 笑いが狙いなのかと何度も思うのだが、それにしては結構かっこいいような気もする。 あ、そうそう、何といってもこの小説のポイントは実名が登場する事なので、 それにあわせて上のあらすじも意訳しておきました。 ブッシュやコイズミも本当はいい奴なんだよ。 異星人に取り憑かれているだけで。
伊藤先生、オークの割注が……。 当時は伊藤典夫ですら知らなかったオークがこんなに有名になるとは誰も予想出来なかったであろう。 いや、スペルわかんないから、間違いとは断言出来ないが、文脈からして。
まだ何もわからないのだが、とりあえず、喇叭の音はいいなぁとか思って、 また別のCDを借りてきた。そしたら、だいたいは喇叭なのだが、 ひとつは笛の音がする。
そういや「ふえたこワールド」でも喇叭のことを笛と言っているし、 喇叭と笛は同じものなのかと疑問がわいてくるが、 しかし音楽のことは全然知らないオレでも、喇叭と笛は違う音に聞こえるのだが。 単に音域が違うだけなのかなぁ。
じわじわじわじわじわじわじわじわと、太りつつあります。 ヘソが膿を吹いていた時は、もう面倒でろくに飯も喰わなかったので 体重が減っていたのですが、その時から比べると5kgも増えてます。 はー。コーヒーを飲んだりしているので、というかコーヒーを飲まなくても、 小説を書くと胃が痛くなるのである、その痛みというのは激しい痛みではなくて、 腹が減ったのと区別がつかないような痛みなので、腹が減ったと思ってものを 食べてしまうのです。
そればかりではなく、寝る前にビールを飲んだりしてしまうのも問題なのです。 しかもポテトチップをつまみにしたりしている点も見落とせません。
レンタルDVDで見た。もちろん一作目のやつ。 マトリックスを見ていて思ったのは、オレが映画を嫌いな理由で、 それは画面が暗くて何が起っているのかまったくわからないということである。 そうだ、これだよという感じで思い出した。思い出す前までは、ひとりで映画館になんかいけないというのが理由だと思っていたが実は違ったのである。 目が見えないものを見ようとして疲れるというか、目の徒労感が大きいのである。 このマトリックスの場合、全シーンの半分くらいは暗いところで何かが動いているという以上のことはわからない。
その上、映画ではしばしば声が低くて何を喋っているのか少しもわからない。 マトリックスはそうではなかったけれど、映画ではよくあることなのである。 もっともマトリックスの場合聞く価値のある台詞がないというのが問題だが。
いや、それが演出だということはオレだってわかるよ。だけど、観に行ったり、 観るために借りてきたりしたのに見えないというのは納得出来ない。 何も見えず何も聞こえないのでは自分が何をしているのか疑問になってくる。
だからオレは映画よりもアニメが好きなのだな。 筋がわからないのは一向にかまわないが、声が聞こえなかったり、画面が見えなかったりするのには堪えられないのだ。 もっとも、最近のリアルなアニメは映画のように画面が暗くて、 声が聞こえないのもあるようだ。
そういう点からすると、安全なのは演劇である。少なくとも舞台を見に行けば、 どんなに暗くても、たとえ非常灯を消してたとしても、 必ず舞台は見えるのである。 少なくとも目が順応しようとする努力は無駄にはならない。
なんとか今月中にやりたいと思っていたことが、かなりヤバイ状態だが、 今月は31日まであるので、なんとかなるかもしれない。
しかし、31日なんて日付を昔の人が聞いたら、驚くであろう。 「馬鹿を言っちゃあいけねぇ、お月さんがどんな顔して出てきたらいいか、 困るだろうが」
今年の標語は「たばこと貧困:その悪循環から逃れよう」。 あれですね、つまり低所得者層からの搾取という点では 阿片にも似ているということでしょうか。
なに、禁煙したいけど、 世界禁煙デーは今日一日で終わってしまうと思っているあなた。そんなあなたに朗報。 日本は6月6日まで「禁煙週間」だ。
「世界の中心で愛を叫んだけもの」再読。
これは文章はふつうで何が描写されているのかは分かるのだが、 何が言いたいのかよくわからない。ピンと来ないというか。