坊ちゃん忍者幕末見聞録【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
図書館で借りた本。読みはじめて少しして、何か変だなと思ったら、 地の文と台詞が違うからだと気づいた。坊ちゃんの場合は、地の文と坊ちゃんの台詞は 同じ東京言葉なんだけど、この作品では地の文は坊ちゃん風の東京言葉で台詞は 庄内弁(?)という感じで違和感が。
それに終わりの方はなんだか、筒井康隆のなんだっけ義経の話、あれと似たような 感じになっていて、もちろん一日で読んでしまったので、 面白いことは面白いんだけど、俺が奥泉光に求めているのはこんなものではない。
大絶滅【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
図書館で借りた本。これはよい本だ。第1章と第4章を除けば。 あるいは、ガイアに言及した部分を除けば。ガイアなんてものは所詮 そういう見方もできるという程度のものにしか過ぎず、なんでいきなりそんなに 反対してるかなぁとか思ったのだが、ま、いいかと思って読み進めたら、 また最後にガイアは出てくるわ、人類の宇宙移住は出てくるわ。
全人類が宇宙に移住するなんてことは、宇宙船から地球に残った人類を皆殺し にでもしない限り不可能でしょうが。
それはともかく、マントル・プルーム上昇による絶滅という説は、私にも 非常にもっともらしく聞こえる。たぶん、正しいであろう。
ま、表紙と発行年(1999年)からしても、世紀末本ということなんでしょう。 それからすると、中身はとてもまとも。
脳に組み込まれたセックス【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】中断。
この間読んだ「性の起源」はちょっと難しくちょっと過激だったが、 この本は読みはじめてすぐになんか幼稚な語り口とか思いはじめ、 でも、作者の言うことはともかく、引用していることくらいは信用できる だろうとか思ってもう少し読んだら、引用すら信じられなくなり、中断。 ま、ダメな人は実験としておかしいものでも、結論さえ自分に都合がよければ 引用するからな。あるいはダメな人どうしで引用しあうからな。
ちなみに中断したのは41ページ。「ウィトキンの研究は、 女が自分と異なるMHC遺伝子をもつ男の匂いに惹かれることを示している。」 この部分ですね。実験の規模は44人の女性と49人の男性からなる大学生グループ だってさ。この実験の結果を俺に信じさせるには、催眠術でもかけるしかあるまい。 ま、ずっと規模が大きくて対照実験があって、出てきた傾向がほんの微かなもの だったら、そして著者の語り口が慎重なものだったら、うーん、と首を捻りながら、 そんなこともあるのかなぁ、誰か追試でもしないかなぁ程度には 信じるかも知れないが。この実験に関するかぎりは100%間違いであろうよ。 これなら、まだ、竹内久美子の方がましだ。
それ以前にもいろいろ明白な間違いや、論理のあやしい部分が多かったのでね。 それに、図書館で借りた本だから、最後まで読んで元を取らなくてもいいので、 さっさと中断。
文体練習(レーモン・クノー)
これで文体の練習しまくってやる。っていうか、これが文学ってやつかも。 ところで文字色も文体なのか。 それなら七色の文体を使い分ける作家とかもいるわけだな。
カエル 水辺の隣人(松井正文)
いきなりまえがきが、「カエル、この動物をきらいな日本人はあまりいないだろう」 で始まるのである。カエラーの人にとっては、 何ということもない文章かも知れないが、根拠があるとは思えないことを、 疑問ももたずに、というかむしろ控えめに、こう言うとは実に素晴らしい人だ。
ところで、まだ少ししか読んでいないのだが、 いきなり自分の無知を思い知らされたのである。カエルは体外受精だった。 はう〜。オレは子どもの頃に何度もカエルの交尾を見ているので、 カエルは体内受精だと思っていたのである。 もう少し読み進めないとわからないが、 交尾のように見えたものは実は交尾ではなかったのかも知れない。 自分の目で見たことがこんなにも簡単に覆されようとは。
CoCo壱番屋でエビカツカレーを食べる。この店、カレー専門店なのだが、 揚げ物もかなりうまい。ところで、オレは男にしては小食であり、 カツカレーというものを若い時にほとんど食べていない。 つまり、カレーで十分と思っていたわけであるが、食べてみると、 やはりカツカレーはカレーだけではない旨さがあると思うのである。 そうは言っても、トンカツではちょっと重すぎるという時に、 エビカツは最高。というか、エビカツというもの、オレの若い頃には なかった食べ物ではないだろうか。 それとも、単にうちが貧乏だったから食べたことがないだけなのだろうか。 とにかく、これはうまい。衣はサクサク中はプリプリ。それにトンカツほど 腹にたまらないから、オレのような小食者や華麗な美少女にぴったりだ。
昨日はポテトチップスをつまみにビールを飲みながらSFマガジンを読むという 幸福な夕べを過ごしたわけだが、それを邪魔したのがカップヌードルであった。 だいたいオレは本物の酒飲みではないので、飯を喰ってから酒を飲むのであるが、 昨日は飯の前になんだかカップヌードルが食べたくなり、 飯前だけどこれくらい楽に入るだろうと食べたカップヌードルが結構腹に溜まり、 飯を1時間くらい遅らせたのに、食後まだ腹が張っていたのだが、 ポテトチップを見ると、やはりビールが飲みたくなり、 腹がきついと思いながら、ビールも飲んでしまったのだよ。
ところで、コニー・ウィリスはやっぱりうまいなぁ。 うまいというのはこういうことをいうのだろうなと思う。 ところで、俺が今の時点で日本人作家で一番コニー・ ウィリスに近いと思うのは奥泉光である。
カエルは交尾ではなくて抱接というのだそうだ。 ちなみに「抱接」が一発で変換しなかったので、抱擁と接吻から変換したのである。 つまり抱きしめるけど、挿入はしないわけで、なんとも優雅な生物ではないか。 すると、抱きしめるという行為は挿入より先に進化してきた行動 と考えてよいのだろうか。
更に、オスのカエルは、相手かまわず抱き付くけど、抱きつかれたオスは、 「違うよ」という鳴声をだすので、そうすると放すのだそうだ。 うん、抱き付き魔っているよね。
日記も書いたし、飯も喰ったので、あとは風呂に入ってそれから小説でも書こうか、 それともゲームでもしようかと思っていたら、電話が掛かってきて、 花見をしているから来いとのこと。
そうか、花見というのは以前は花の咲きそうな時に日時を決めてやっていたものだが、 それでは花がまだ咲いていなかったり、散ってしまっていたりしてうまく花見ができる とは限らない。それで、携帯時代の花見というのは、まず誰かが花が咲いているか どうか確かめ、うまい具合に咲いていたら場所を取り、それからおもむろに、 携帯を掛けまくって、参加者を集めるという形式になっていたのだな。
それにしては、花の咲き方がもう少し足りないし、やや寒かったようで、 俺が着いた時にはもう花見は終わって飲み屋に移動していたのであった。 人を呼んでおいて移動するというのも携帯時代ならではですな。
といいつつも、今回は絡まれないように立ち回ったので概ねよし。
カエル――水辺の隣人【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
なかなかよい本である。結局、体内受精するカエルは一種だけ知られているらしい。 それはともかく、カエルもまた、というか、例にもれずというよりも先頭を切って、 絶滅に瀕しているらしい。
カエルの皮膚が薄いために、紫外線や農薬や病気に弱いということと、 一般には水陸両方の環境を必要とするので環境の変化に弱いということらしい。
この本にも出ているのだが、カエルはその生殖方法にかなりの多様性をもつ。 そして、よく鳴く動物であり鳴声も種によって異なる。 で、この本には出ていないのだが、こういう性質は行動遺伝学の研究には向いている と思うのである。俺は結構、行動遺伝学に興味があるのだが、 この学問の研究対象はだいたい昆虫か鳥である。しかし、 俺はカエルが研究に向いていると思うのだ。もちろん、昆虫は研究に向いているが、 研究者も脊椎動物の行動に特に関心があるとしてもおかしくはない。 鳥(にしろ哺乳類にしろ)の行動を研究するのは野外観察になる。 しかし、カエルなら実験室で飼えると思うのである。 繁殖方法さえ確立されれば大量飼育も可能であろうし、 うまくすれば、特定の行動を決定するDNAの決定も可能ではないかと思うのだが、 どうでしょうか? 俺があと50才若ければ、自分でこの研究に取り組むのだが。
今日はかなり暖かかった。しかし、ずっとゲームをしてしまった。 肩が凝る。
踏んだり蹴ったりというのは「とんでも本」と同じように、否定や意味を逆転する ことばを省略した言い回しですね。初めて耳にしたり、論理的に考えると、 意味が通じないのですが、そこはそれ、日本のような閉鎖的な社会では、 外部の人間に意味が通じない言葉こそ、より親密であることを表す言葉として、 大切に使われるわけである。
このところ、ウィルスメールが日に十通近く届くのである。それはまあよい、 プロバイダのウィルスチェックサービスに金を払っているので、 俺のところに届く前にウィルスが除去されているから。
その上、ホームページからの感染に備えて、ウィルスチェック(というか、 インターネットセキュリティ)ソフトを入れているので、 俺が感染する可能性は低いのだけれど。 (と思ったが、前回のウィルスチェック日は出かけていたので、 ウィルスチェックをやり直したが、やはり感染していなかった。 ファイル走査型のウィルスチェックは週1だが、その前にみつかるからね)
しかし、今日届いたウィルスメールは差出人が俺のアドレスだった。 よく調べてみると、from と return-path が俺で、 どっかでエラーになって返ってきたようにみえる。 もちろん、エラーを偽装することも可能だろうが、さすがに、 出してもいないメールのエラーメールではoutlook expressのプレビューでも 使っている奴でなければ引っかからないだろう。
たぶん、俺のメールアドレスをアドレス帳に入れている奴が ウィルスに感染したものと思われる。この日記を見ている人で心当たりのあるひとは ぜひウィルスチェックをしてみてください。というか、いい機会だから、 日常的にウィルスチェックしている人以外は、ただちにウィルスチェックすることを お薦めする。
しかし、差出人が俺でウィルスメールが届くと、鬼の首を取ったように喜びそうな 奴がいるので困る。ま、俺はホームページの書き方とか、著作権とか、 htmlメールとか、コンピュータ関係では何かとうるさく言ってきたので、 煙たがられているわけだ。そんな風に俺を煙たがっている奴のところに、 差出人欄に俺のメールアドレスが書かれたウィルスメールが届いたら、 そりゃあもう大騒ぎ。その様子が目に浮かぶようである。 しかし、そいつ自身が感染していて、他人に感染させたのがそいつに戻って来た という可能性の方が高いだろうと俺は思うのだが。
なんか、時々チカチカしていると思ったら、痙攣したようにチカチカが止まらなく なったので蛍光管を交換しようと、蓋を開けた。
俺の部屋の蛍光燈は、引っ越しのときに不動産屋が、 「なんだか、前の人が置いて行った電灯みたいですね」と発言したもので、 天井にぴったりくっついている丸いクッションのような形の、 つまり球状ではなく円形の蛍光燈で、下面は蛍光管が露出していなくて、 プラスチックで被われているものだ。
蓋をはずしたら、大小二本のまるい蛍光管は小さい方が完全に切れていて、 大きい方がチカチカしていた。それから、既に日が暮れていて雨が降っていたのだが、 コンビニまで蛍光管を買いに行き、しかも近くのコンビニでは小さい方の蛍光管 しか売っていなかったので、その先のコンビニまで行ったら今度は大きい方しか 売っていなくて、とりあえずそれを買ってきた。
既に暗いので、台所の蛍光燈をつけ、ついでにそこから小さい方の蛍光管を外し、 部屋の蛍光燈の蛍光管を外そうとしたら、パラパラパラとプラスチックの破片が 降ってきた。見ると、何か制御用の回路が入っているらしい蛍光燈内部の プラスチックの箱があるのだが、そのプラスチックが劣化してボロボロになっていて、 ちょっと触っただけで、落ちてくるのである。もう中の基盤やらトランジスタだか コンデンサだかが完全に見えてますが。 その上、小さい方の蛍光管を外そうとしたら、 蛍光管の電源コードが繋がっている部分の プラスチックまでがボロリと砕けやがった。
不良品じゃねえのかこの蛍光燈。 たぶん設計ミス。天井設置型のため温度が上がりすぎている気がする。 もちろん紫外線で劣化というのもあるだろうが、蛍光燈の部品が紫外線を受ける のは当然である。小さい方の蛍光管はまあね、切れたのに気づかなかったからね、 切れた時点で交換していたら、大丈夫だったかもね。
でも、俺はすべてを見なかったことにして蓋をしてスイッチを入れたら点灯した のでよしとしよう。うーん、日記に書いちゃったから、後で火事にでもなったら 責任追求されるかも。でもなぁ、蛍光燈買うならインバータにしたいし、 ついでにリモコンで寝ながらスイッチを入れられるといいとか思うと、 高いのになるからなぁ。あ、もしかして部品が露出しちゃった部分って リモコンの制御部かな。だって、電灯のスイッチって部屋の入り口にしかなくて かなり不便なんだもの。特に朝起きる時。そのせいで、 朝なかなか起きられないくらいだから。
ともあれ、蛍光燈にしろ自動ドアにしろ、変にかっこいいものより ふつうの形のものの方が、安くかつ安全なのは確かだろう。
プラトン学園【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
図書館で借りた本。 不安になりながら読んだ。 これはもしや電脳空間ものではないかという気がしたのである。 というか、最初は「これも坊ちゃん?」とか思っていたのだが、 途中から「もしや電脳空間ネタ?」と不安になったのであるが、 更に読み進むと、「おお、これぞフィクション」という感じになり、 どんどんフィクション性が高まるにつれて、 いよいよのめりこむように読んでしまった。
そして読み終わってみれば、 最初からフィクション性が意図されていたとしか思えないのであった。 先日はコニー・ウィリスに奥泉光が似ているというようなことを書いたが、 これを読み終わった時点では、やはり似ていない、 別種の面白さがあると思う。
重要ではないと思うが、 この作品にもある意味タイムトリップと言える現象が書かれている。
「バナールな現象」を読まねば。
くさいはうまい【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】中断。
書かれている内容自体はまあまあおもしろいことなのだが、 つまり発酵食品に関するエッセイなのだけれど、 文体というか文末に変なのがあって、 萌え語尾をねらっているのかもしれないのだが、 何といっても語尾は伝染性があるので、この変な語尾が伝染したら、 俺にとっては致命的だと思い中断。 もちろん、読んでいて気持ちの悪い語尾であるというのも中断の理由だが。 でも、「にょ」とかと違って、日本語としておかしいとは言えない語尾なのである。 いや、俺だってこの日記の中でそいういう語尾にしたところはあると思うくらいで、 感嘆文というか、そういう文末なのだけれど、どうも気持ちが悪いのは、 語尾そのものではなくて、そういう語尾を使う著者の態度なのかもしれない。 対象に対する著者の態度なのか、読者に対する著者の態度なのか、 あまり分析もしていないが、なんというかその語尾だけで 「私は感動した、読者も感動せよ」と主張しているような印象を受けるのである。 そんなことが、すべての文ではないにしろ、1ページ何ヶ所もあったら、 読むのが嫌になりませんか。