昨日、日記を書こうとして、ネタがないなぁと思い、それから、 日記を書く必要なんてないと気づいて、昨日の日記は書かなかった。
もっとも必要性という点で言ったら、生きている必要もないし、 小説を書く必要もない。とはいえ、死ぬ必要もないし、嘆く必要もなく、 あきらめる必要もなく、うんざりする必要もなく、落ち込む必要もない。
実は、ここだけの話だが、最近活躍している若い作家に 嫉妬を覚えて仕方がないのである。
それで、「SFが読みたい」のベスト作品を読もうという気になれないのだ。
オレは嫉妬する人なのである。というわけで、この日記のタイトルも「裏山日記」 とかにすればよかったという気がしないでもない。「羨ましい」というのは 「嫉妬する」というのとほぼ同じ心理状態であろう。
コーランにも「妬み男」とかいうのが出てきた記憶がある。 他人の才能や財産や容貌を妬んだところでよいことなど何一つないのだが。 もっとも、オレはもてる男に嫉妬するあまり、 小説を書く時にも決してもてる男を登場させたりはしないのである。 それでエンターテイメント小説を書こうという点にかなり無理が出てきてしまうのだ。
仏教の八苦には「求不得苦」というのがありますが、自分の得られないものを 他人が得ているというのがまた一層苦しみを増すような気がします。
マニフェストじゃなくてダーム。 肩が凝るのでトクホンじゃなくて別の会社の膏薬を買ってきて貼っているのである。 ところで膏薬という薬の使い方は日本で発明されたってどっかで(たぶん唐沢俊一) 読んだ記憶があるのだが、なかなかすごい発明ですよ。 あれ、それとも膏薬じゃなくて、湿布のことだっけ?
DDSっていうやつですね。 薬の副作用を減らし、効果を高めるために最近研究されているやつ。 それがもうずっと昔からあったわけですからすごい。 最近の肩凝り膏薬は臭わないので更によい。 昨日は低周波治療器を使ってみたのだが、 使っている間は気持ちよく凝りがほぐれる気がするのだが、 しばらくするとまた凝ってくるのである。
借りていた本を図書館に返さなければならないので、 必要な部分をコピーしようと近くのコンビニに行ったのだが、 コピー機が使用中であるばかりか、その後ろに(ひとりだけど) 人が並んでいたので、仕方がないなぁとか呟きながら、 マンガを立ち読みしていたのである。 で、読み終わって、コピー機を見ると誰もいないので、よしコピーするぞ とそっちに歩いていったら、三歩も歩かないうちに、 入り口から入ってきた男がまっすぐにコピー機に行き、コピーをし始めたのであった。 しかたないなぁとか呟きながら、またマンガを立ち読みしていたのだが、 今回はこまめにコピーが終わったか確認しながら立ち読みしていたわけだ。 というか、マンガのコーナーから監視用の鏡を見上げるとちょうどコピー機が 見えるということが分かったのだが、この親父がいつまでたってもコピーが 終わらないので、ついいらついてしまい、 他のコンビニに行ってコピーすることにした。
結局、そのコンビニではマンガの立ち読みだけしたことになってしまった。 立ち読みした時は何か買うようにしているのだが、 これから別のコンビニに行くのに、コンビニの袋は持って行きにくいからな。 ごめんよ、セブンイレブン。
サメのおちんちんはふたつ【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
昨日図書館で借りてきた本。タイトルはいいけど、著者の語り口が鬱陶しい本でした。 素人むけにやさしく書こうとして、通俗的な話題に堕しているんですな。 これがファインマンさんなら、高度に専門的なことを、 ちゃんと素人にも分かるように誤魔化しなく書けるのに。
ところでオレはずっと、ホオジロザメだと思っていたが、 この本にはホホジロザメと書いてあって、引っかかっていたのだが、 ググッてみたらホホジロザメが標準和名となっていた。
そういえば、「頬」って「ほほ」とも「ほお」とも読むけどどっちが正しいんだ。 オレは「ほお」が正しくて「ほほ」が通用かと思っていたのだが、 それは「ほお」の方が発音しにくいから(オレには)。それに「ほおばる」 は「ほほばる」とは言わないし。とか思ったが、 「ほほえみ」はやはり頬に浮かべる笑いなのか。 それは「ほおえみ」とは言わないような。 それに「ほお」から音便するなら「ほう」になるような気もするし。 で、ググッたらどうも「ほほ」の方が古いような感じ。 でも国語辞典には「ほお」が見出し語で、 「ほほ」でひくと「ほお」に飛ばされる。
♂♀のはなし 虫【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
先日図書館で借りてきた本。タイトルからは内容の程度はわからないだろうが、 結構ちゃんとした内容の本であった。おもしろい。
しかし、ブドウトラカミキリの配偶行動というところに、 メスがオスにマウントする、時にはメスがメスにマウントすると書かれていて、 どうしてこんな行動を取るのかわからないとコメントされているのだが、 オレには明白なように思えるのだ。 つまり、オスの行動遺伝子がメスでも活性化されているというだけでしょ。 ちがうのかなぁ。昆虫は進化が速いので、多くの行動が最適化されているため、 昆虫学者はきっと昆虫の行動はすべて 最適化されていると思い込んでしまうのではないだろうか。 でも、昆虫だって進化の途中にあるのだから、半端な行動もするんじゃないの。
レンタルビデオ屋で金色のガッシュベルを借りてきて見た。 なるほど、テレビ版の都合上毎回魔物が登場するのだな。 でも「すずめ」はよいね。ということは女の子系は期待できるかも。 しかしオレ、フォルゴレとキンチョメとかは名前を覚えているのに、 ティオのパートナーのアイドルとか、エンディングのブラド(だっけ?)の パートナーとか全然名前が思い出せないでやんの。サンデー読んでるのに。
今朝は確かにあったのである。手首に育ってきたガングリゴン。 去年の夏ぐらいから成長を始め、最近はかなりの大きさになっていて、 そろそろ医者にでも行って注射器で中身を抜いてもらおうかなぁとか 思っていたのだが、ふと見るとかなり目立たなくなっている。
皮膚の表面は破けていないので、皮膚内部で破裂したらしい。 よく見ると、手の甲のガングリゴンより先の部分がガングリゴンの三倍くらいの 面積に渡ってうっすらと膨らんでいる。
とりあえず、見た目はかなり改善されたのである。 内部に噴出した部分がうまく吸収されてしまうことを祈りつつ、 今晩は風呂に入ってゆっくり手首のマッサージでもしよう。
カンブリア紀の怪物たち【 bk1 / amazon / Yahoo! / 旭屋 / Jbook / 紀伊國屋 / 楽天 / skysoft 】読了。
グールドファンだからというわけではないが、モリスの文章はわかりにくい。 話があっちこっち飛んで何を言いたいんだか読み取るのに苦労する。しかも、 図の参照が100ページも前に出てきた図だったりする上に、 図の番号だけで何ページに出ているのか分からないから、探し出すのがえらい手間だ。 あ、これはモリスじゃなくて編集者の問題か。
タイムマシーンに乗ってとかいう章は、読みはじめてすぐに鬱陶しくなり、 飛ばしてしまった。他のところでは、まわりくどいほど 確定的な言い方を避けているのに、いきなり見てきたようなことを。
ま、「門の起源」という章は、そもそもオレもグールドの言ってることがおかしい と思っていたこともあり、分岐分類学を使っていることもあって、 正しいと思われるけどね。
一方、「別の世界」という章では265ページに 「進化の最終産物として人間を捉えてはいけないという一連の議論は、 あるポイントをはずしている」と言って、収斂進化によって人類に似た 生物が進化してくる可能性が低くはないと主張している。 でも、その中で小見出しとして「生物のデザインには限りがある」 と言っているのだが、オレには、 「近い祖先を持つ生物のデザイン変化には限りがある」ように思えるのだ。 だって、収斂進化の例として上げられる有袋類と有胎盤類はともに哺乳類だからね。 本当に収斂進化が必然なら、ティラノサウルスのような哺乳類がいるはずじゃないの。 (これはティラノサウルスのような生態的地位の哺乳類がいるかという話ではない)
そうはいっても、「進化のテープを巻き戻したら」というグールドの意見も、 主に「断続平衡説」に基づいているわけで、バージェス化石群もその説の証拠の一つ と言いたいのであろう。 つまりバージェス化石をネタにいつもの自説を出してきただけでしょう。
全体的にちらかっていてわかりにくい本であった。 そのため誤読があるかもしれないが、それは主にモリスの文章のせいである。
今日ふと頭に浮かんだ言葉:フクロハナアルキ(袋鼻歩き)。
ここ数ヶ月読んだ本をみんな誉めたりして、 我ながらオレらしくないなぁとか思っていたのだが、 ここ数回はちゃんとけなしてますな。復調か?
ウィキペディアって面白すぎる。 いけない、こんなことやっている場合じゃないとか思いつつも、やめられない。 もともと、オレは本を読んでいても、誤字を見つけると直したくなるのである。 それがこんな風に好きに断片的な文章が書けるのは面白くて面白くて。 ただ、著作権を侵害しないように、何も見ないで言葉の説明を書いているので、 たちまち自分の知識のなさを思い知らされるのだが、すぐに開き直って、 いい加減なことをどんどん書いてしまうのであった。
しかし、定義されていない見出し項目を書いて行くと、どんどん定義された部分が 増えるかというと、逆に定義されていないものが増えて行くのだ。ひー、いくら 書いても終わらないという状態。新たに書く文章中に見出しにするべき言葉が 次から次へと出てくるからである。