しばらく小説を書かなかったリハビリとして、この間50枚ほどの原稿を 紙から打ち込んだのだが、やはりデビューするためには、長編を書かねば ならんということで、とはいえ、500枚をいきなり書くのは無理なので、 300枚くらいの作品を書こうと思った。
しかし、300枚といえばライトノベルの長さなのだ。ライトノベルは 以前はろくに読んでいなかったし、読んでも文章が気になって楽しめな かったのだが、ここ数年で私は修行を積んだのだ。
小林めぐみも相当読んだし、なんと、今は銀英伝を読んでいるのだ。 それどころか、この間は「撲殺天使ドクロちゃん」というライトノベル の中でも最右翼(か最左翼)ともいうべき作品までちゃんと楽しんで 読んだのである。
だいたい、オレはプログラマーとしてもいろいろな言語に手を出すのが 好きなタイプであって、新しい言語でプログラムを組むのは楽しいのである。
ライトノベルもそれと同じように、ライトノベル文法というのがあって それに従って書けばよいわけである。もちろん、ライトノベルと言っても いろいろあるのだが、「美少女」「語尾」「戦闘」というこれまでオレが 書いてこなかった題材を入れてみた。もちろん、「萌え」狙いである。 会話と改行もふだんよりずっと大目に入ってます。
これが書いていて楽しいんだ。いや、初めてライトノベルを読んだときも、 「書いている人は楽しいんだろうけど……」とか思ったが、自分で、 ライトノベル文法(と思うもの)に従って書いてみると、これが楽しい。
意外にもというか当然にもというか、文体はこの日記文体にちかい形 になっている。それで書きやすいというのもあるのだな。
ここ数年で気付いたことに、小説においては「逸脱」が重要だという ことがある。そして、ライトノベル文法においては、いくらでも「逸脱」 ができるのである。川又先生のおっしゃっていた「小説=水割り論」 というのもこのことではないかと思えるのである。
つまり、ライトノベルの中には小説の本質に通じるものがあるのだ。