「今夜あたりなんや」
幽霊クラブの一人が言った。
「本当かい。他人のは見たことがないからなぁ。一度見てみたいと思ってたんだ」
「面白そうだな。どこだい、それ」
「ほな、一緒に行きまひょ」
サチコは部屋のドアをそっと閉め、おもちゃのような鍵をパチンとかけた。
お父さんもお母さんもよく眠っていた。二人とも毎日朝から夜まで働いているからぐっすり眠る。サチコはピンクのカッターナイフを机の上に出した。
何か書いた方がいいかな。サチコは引出しからキティちゃんの便箋を取り出してシャープペンシルを握った。シャープペンシルの頭には水兵服のドナルドダックが座っていた。作文は得意だった。しかし、書こうとするとうまく書けなかった。何を書いても本当に言いたいこと、サチコの気持ちは、お父さんやお母さんには伝わらないような気がした。サチコは何度もドナルドダックの頭を押して芯を出したり引っ込めたりした。
お父さんもお母さんも気が狂っている。サチコの言うことを少しもわからないし、わかろうともしない。何も書かないことにしよう。その方が少しはサチコのことを考えてくれるかも知れない。そう決めて、便箋とシャープペンシルを引出しにしまった。引出しには、かわいい文房具がきちんと整理されて並んでいた。
カッターナイフの刃をカチ、カチッと押し出して右手で持つ。左手首に当てると心臓がドキンドキンと大きな音をたてはじめた。心臓が脈打つたびに体全体が揺れる。
「ここや、ここや。なんや、もうはじまっとるがな」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。始まったばっかりだ」
「いいねえ、若い女の子が人生に絶望する。いいねえ、中年男が倒産で首吊るのとは大違いだ。いいねえ」
「そうそう、剃刀ってのもいい。古典的だし、血が出ていい」
「カッターナイフだよ、剃刀じゃなくて」
「似たようなもんだ」
サチコの部屋に幽霊の集団が押しかけた。幽霊たちは空中にあぐらをかいたり、寝そべったりしてサチコの自殺を見物しはじめた。
サチコはそこで、左手にあてたカッターを離した。しばらく考えてから台所に行き、黒いビニールのゴミ袋を持ってきた。サチコが頭からかぶって中に入れるくらい大きい。袋の端をセロテープで机の右側にに止める。何度もテープを切ってしっかりと貼りつけた。
「なんやねん。やめんのかいな」
「いや、ちがう。血で部屋を汚さないようにしてるのだろう」
「いやあ、いいなぁ。ちいさい子なのに気配りを忘れない。素晴らしい」
サチコはもう一度お気に入りの椅子に座わり直した。左手をゴミ袋の上に出して、そこに右手に持ったカッターを当てる。少し力を入れて引くとつーんとした痛みがして、血がぴゅうと吹き出した。
「やった!」
幽霊たちは一斉に拍手をし、口笛を吹き鳴らした。
サチコは一度切ったところにもう一度カッターを当てて強く引いた。今度は激しい痛みがして脈にあわせてぴゅう、ぴゅうと血が吹き出しはじめた。血が吹き出す度にサチコは激しい痛みを感じた。バファリンを飲んでおけばよかったと思った。
「やったで、うまいこと動脈切りよった」
「小さい子なのに度胸があるね。ボクなんかとうとう動脈切れなかったからね」
「いいねえ、見事だね。お手本にしたいような見事な自殺だね」
「いや、やはりもう少しためらったり、悶え苦しんだりした方が俺は好きだね」
「あんたは美学がわかってない」
サチコは手首から吹き出す血がゴミ袋にたまっていくところをじっと見つめていた。だんだん、左手をゴミ袋の上に出しておくのがつらくなってきた。勉強に疲れたときちょっと居眠りをするときのように、机に伏せると少し楽な体勢になった。血の流れを止めないように、頭は右腕の上にのせる。
生きていたら何かいいことがあったかなぁ。普通の子供だったら、きっと素敵なことがいっぱいあるんだろうな。生きていても仕方がないよね。恋することも許されない、結婚の相手も勝手に決められてしまうなんて。サチコがお父さんやお母さんのいうことを聞いてそのとおりに生きたとしたら、今度はサチコの子供がサチコと同じ苦しみにあうんだ。悪いつながりを断ち切らなくちゃ。
「ところで、この子、なんで死ぬんや?」
「親が似非宗教に入っているんだ」
「気の毒なこっちゃ、いつまでも見とらんと、はよひっぱりだしたろや」
幽霊たちはサチコの体の中に手を入れて、エイエイと魂をひっぱり始めた。
サチコはだんだん気が遠くなってきた。ああ、もう死ぬんだ。そう思うとなんだかほっとした。目を上げるとミッキーマウスの人形が笑っていた。
エイエイエイッ。幽霊たちが力をこめてひっぱるとサチコの魂は肉体から飛び出した。
あ、死んだんだ。サチコは突然手首の痛みが消え、眼下に自分の体を見て悟った。そして、まわりに何人もの人影を見て驚いた。
「おじさんたちは……」
「やあ、サチコちゃん」
「ようこそ、幽霊クラブへ」
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